中学の終わりから高校時代まで、名古屋市内に住んでいました。
名古屋に行くついでに、
今回、高校卒業以来の住んでいたところと、
中学卒業以来の中学校あたりを、ぷらっと散歩してみました。
急坂の町。
何よりも行って良かったのは、その急坂の感じを、
自分の脚が覚えていた事かもしれないです。
(以下、私のメモみたいなものなので)
行く前に地図で確認したのですが、
道を迷わないかな〜とかなり不安でした。
駅を降りて昔歩いた家までの道、
あの頃は木がうっそうと茂っていた道だったのに、
なんだかやけに明るく暑い道になってました。
(木が少なくなったのです)
折れる道は流石に分かり、でも、道の両脇の家は見覚えのないものでした。
あ、この家、薔薇のきれいだったお家
あ、この建物、昔もあったかも(帰ったらお母さんに聞いてみよう)
なんて考えながら、写真を撮りながら、
道をどんどん進んで行ってどん詰まりのところに、
まるで時が止まったかのように、もとのお家がそこにありました。
管理が行き届いていて、私が高校生だった頃とまるで
変わらなかったのには本当に驚きました。
懐かしすぎて、涙出て来る。。。
(家族一緒の思い出の残っているところです)
そこは会社の舎宅で、私たち家族が第一番目の入居者でした。
ちょっとだけ開いていた門を押すと、すっと開いて、
で、不法侵入して、懐かしの雰囲気をちょっとだけ味わいました。
あの頃、よく見上げていた建物の壁が懐かしくて・・・(笑)。
まったく同じ塗りでした。
この舎宅での思い出は、なぜだか夏に凝縮されていたので、
夏に来れて良かった・・・。
そして、もっと中まで入りたかったのを我慢して、
脇の坂を下って、中学の方へと脚を伸ばしてみました。
通学路、完全に忘れてます。
道路を挟んだ、見上げるような坂道を登って行ったら、
どうやら普段、余り使わない手前の道を選んでしまったみたいです。
もっと坂を上らないと行けなかったんだ、とは
後で思い出した事でした。
こんな道が続いています。
通学路の横に、小さい神社を見付けました。
こんな神社あったかな?と中に入ると、
あの頃多分、一度もお参りした事なかったにもかかわらず、
ここの神様が、「よく来たね」と言ってくださっているような、
そんな感じをうけて、涙が出てきました。
そして右に折れなくては行けなかったらしい、丘の上の十字路で迷い、
何の工事のためなんだか、業者さんが道に数名座っていたので、
「中学校ってこっちでしたっけ?」と左を指して聞いてみたら、
完全に逆方向でした(苦笑)。
使い慣れてない道だったので、分からなかったのですね。
でもお陰で助かった。
明治天皇の行幸の地。
それが私たちの中学校の名前の由来です。
それ位、眺めの良い場所にあります。
正門前から
急坂の町で育った同級生たちの、足腰の強さ(健脚ぶり)でした。
校外外周5周だかを、どんどんと小さくなる同級生たちを、
息も絶え絶えに追った、思い出の道です。
(この場所だけ平たいのです)
その時の事があまりにショックで、その後、高校で運動部に入って、
どんくさい部類の私でも鍛えられて、
木曽駒ヶ岳、御嶽山に登ったりして、
卒業の頃には、ランニングで軽く帰宅組を追い越してました。
そして中学卒業式の後、
皆で参拝した、直ぐそこにある神社に行ってみました。
あの頃気づかなかったのですが、
ここは安産祈願や、赤ちゃんの初参りに来る神社でした。
今回の私も、夏の暑い時にも関わらず、
赤ちゃんたちと一緒に参拝しました。
お守りは母の分と買いました。
下りの階段だけ覚えていて、そうそう、こんな感じだった、
と思い出したりして。
それから地下鉄に乗ると、ホテルのある場所へと戻りました。
名古屋市内からそんなには離れていないのに、山の中へ行ったような感覚。
まるで別世界でした。
でも、もう二度と行かないかもしれない、
だからこそ、行けて嬉しかったところです。
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