久しぶりの友との再会はうれしい
転校による引っ越しもあり、私の友人との心からのつながりは、18歳以降から始まる。
東京に住んでいた頃、小学生までの頃は、
電車で学校に通っていたこともあり、
近所の子ども達とも、生活を共にしないで、常に孤独の中にあった。
自分のことも、まだ良く分からない位の年齢なのに、
あのすべてが自分とは関わりなく、すり抜けて行ってしまうといった
孤独の中に住んでいただなんて、なんだか
「偉いぞ、自分」って思ってしまう。
一人遊びの中で、自分に起きる面白い現象にも、行き当たったりもしていた。
(いや、特に書く必要もないことなんだけど、思い出したので記録)
電車にすわってぼんやりとしていると、脳に意識が集まり、
視点がずれて、不思議な感覚に陥った。
それは今では分かるのだけれど、私は自然と瞑想していたようだった。
それと同じ感覚で、オトナになってからの会議中、
目を開けながら寝るということも出来ていた。
いや、思考を停止していただけなんだけれど。
(それを見破ったとある上司は、彼もまた、ちょっと変わり者だったんだと思う)
すべては毎日乗っていた、電車から見る風景のように写っていた。
私はガラスの囲いの中にいた。
その感覚は、東京の街中を、早足で歩いているときに感じるものと似ている。
でも今はあの頃とは違い、それを楽しんでいる大人になった。
生きている者、それぞれが、輝いているのがみえて楽しい。
「人と接すること」は、その後の懸命な努力によって生み出した。
名古屋で高校生になっていた私は、毎朝、出会う人だれにでも、
「おはよう!」
と元気よく声かけしていた。
こだまのように、元気よく返って来る「おはよう!」が、楽しくて仕方なかった。
毎朝、その遊びに夢中で興じていた。
それはクラスの隔たりを超えていた。
子どもの時のままの私だったら、ずっと透明なガラスの中に住み着いていただろう!
再び私が孤独を感じたのは、6年10ヶ月ぶりに、
名古屋から東京にやってきた、18 の春のことである。
知っている人は誰もいなかった。
(友だちは皆、名古屋の大学へ行ってしまった)
そこから今のわたしの東京生活がある。
考えたら、あれからずいぶんといろんな人に会ったなーと、改めて驚いている。
そうそう、小学校に入学する前の私は、
「一年生になったら」の歌が大好きで、その歌詞に夢を持っていた。
あの時描いた夢は、今、実現しつつあると思う。