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2013/08/07

東京生活


久しぶりの友との再会はうれしい

転校による引っ越しもあり、私の友人との心からのつながりは、18歳以降から始まる。

東京に住んでいた頃、小学生までの頃は、
電車で学校に通っていたこともあり、
近所の子ども達とも、生活を共にしないで、常に孤独の中にあった。

自分のことも、まだ良く分からない位の年齢なのに、
あのすべてが自分とは関わりなく、すり抜けて行ってしまうといった
孤独の中に住んでいただなんて、なんだか
「偉いぞ、自分」って思ってしまう。


一人遊びの中で、自分に起きる面白い現象にも、行き当たったりもしていた。

(いや、特に書く必要もないことなんだけど、思い出したので記録)
電車にすわってぼんやりとしていると、脳に意識が集まり、
視点がずれて、不思議な感覚に陥った。
それは今では分かるのだけれど、私は自然と瞑想していたようだった。

それと同じ感覚で、オトナになってからの会議中、
目を開けながら寝るということも出来ていた。
いや、思考を停止していただけなんだけれど。
(それを見破ったとある上司は、彼もまた、ちょっと変わり者だったんだと思う)


すべては毎日乗っていた、電車から見る風景のように写っていた。
私はガラスの囲いの中にいた。

その感覚は、東京の街中を、早足で歩いているときに感じるものと似ている。
でも今はあの頃とは違い、それを楽しんでいる大人になった。
生きている者、それぞれが、輝いているのがみえて楽しい。


「人と接すること」は、その後の懸命な努力によって生み出した。

名古屋で高校生になっていた私は、毎朝、出会う人だれにでも、

「おはよう!」

と元気よく声かけしていた。
こだまのように、元気よく返って来る「おはよう!」が、楽しくて仕方なかった。

毎朝、その遊びに夢中で興じていた。
それはクラスの隔たりを超えていた。

子どもの時のままの私だったら、ずっと透明なガラスの中に住み着いていただろう!

再び私が孤独を感じたのは、6年10ヶ月ぶりに、
名古屋から東京にやってきた、18 の春のことである。

知っている人は誰もいなかった。
(友だちは皆、名古屋の大学へ行ってしまった)

そこから今のわたしの東京生活がある。
考えたら、あれからずいぶんといろんな人に会ったなーと、改めて驚いている。

そうそう、小学校に入学する前の私は、
「一年生になったら」の歌が大好きで、その歌詞に夢を持っていた。

あの時描いた夢は、今、実現しつつあると思う。





2012/07/27

我が家の昔語り/犬



このブログではたまに出没する、亡くなったうちの父親の、
独身の頃の武勇伝が、いくつか残っていて、
先ほどそれをひとつ思い出したので、
書き留めておこうかと思った。

でもこの話は、武勇伝ではなく、ちょっとしんみりなお話。



長身でひょろ長だった父は、その体型に似合わず結構お酒を飲む方で、
独身寮に住んでいた独身の頃は、酔って深夜の帰館に、
たびたび閉め出しを食っていたようだ。

そうすると父は、管理人のご夫婦が飼っていたという
コリーだか、セントバーナードだかの雌犬の、
大きな犬小屋に入って寝ていたそうだ。

犬の方は大変に迷惑そうだったという。
一緒に寝るどころか、犬小屋を父に追い出された形となり、
外で寝ていたこともあったそうだ。


その後父は札幌へと転勤となり、すぐ母と結婚した。

多分私が生まれる前の事だったんだろう。
その雌犬が、管理人さんの退職に伴い、独身寮で飼えなくなり、
北海道へと貰われる事になったらしい。

父と母は、迎えに行ったそうだ。

そうしたら、大きな犬が父に飛びついて大喜びしたという。


「でも、北海道に来て、割とすぐに死んじゃったのよね」

といつも母がその結末を言う。


その話を聴かされる度に、胸がきゅんとなった。



私は子どもの頃に、犬にスカートを引っ張られて以来、
怖くてそばに寄れなかった。

あの頃の犬は、家族からべたべたとした愛情はかけられず、
野外で番犬とし飼われている犬が多かったせいか、
吠え出すと、怖さがおおかみ並の犬がけっこういた。
お家から密かに逃げ出し、のんきに散歩している犬もいた。

その後、何匹の犬におどされて育った事だろう。
吠えられて怖がり、固まってしまう私は、良い鴨だった。
家の中で唯一、犬嫌いな家族だった。


そんな私も今では、犬に触れるようになった。

弟が、もう一匹飼うからと、飼っていた犬を、母の元につれてきた、
ポメラニアンとダックスのミックスの雄犬。

もう彼が来て5年は経ったと思う。

凄い人懐っこくて、知らない人でも何でも、寄ってじゃれ着く。
お陰で私の犬嫌いの壁は、あっという間に崩壊した。

ソファに座っていたら、彼にキスされそうになって、
やめて〜〜と悲鳴をあげて、抵抗して以来、
触れるようになった。
(でも、一瞬で唇を奪われて、犬は満足そうな顔をしていた)

弟がその後飼ったゴールデンの背中にもまたげてしまった。



今は、穏やかな犬が多い。

(でも、昔と同じ状態で外で番犬として飼われている、
埼玉県郊外の、知り合いのお宅の犬には、
流石に近づけなかったな〜〜。
夢中で吠えて、縄を引きずっていている様が恐ろしくて、
100メートルくらい後退してしまった)



犬派、猫派だと、世間ではいろいろと言われている。

でも我が家はもしかしたら、
その北海道で亡くなった雌犬以来、犬にご縁が繋がっているのかも、

とそんなことを、ふとさっき思ったのだった。


ちなみに母は、どっちも派。
子どもの頃、お寺で猫を膝に乗せて遊んでいたらしいし、
犬の方は、どこのうちの犬でも、近寄っては話しかけている。
動物園が大好きだし。


子どもの頃、呆れて近づかなかった私・・・。

今でも、お犬様を飼う自信はまだないです。





2011/12/30

さくら




さくらとは『桜』ではないくて、客を寄せる「さくら」のことです。

子供の頃、父の転勤で福岡に住んでいて、
年末からお正月にかけて、家族で鹿児島に行きました。

その時の話です。


その頃はまだそんな便利なときではなく、
確か鹿児島本線かなにかで、結構な時間をかけて、行ったはず。

車中で弟が熱を出し、桜島が正面に見えるきれいなホテルで、
母に付き添われて寝込んでしまって。

仕方ないので、父と私が2人で市内見物に出かけたのですが、
当たり前だけど、さつま揚げのお店が沢山並んでいました。

当時おそらく12 ,13歳位だった私は、


薩摩=さつま揚げ


に感動を覚えて、さつま揚げを食べる事に。。。

どこが美味しいお店だとか、そんな情報は無かったから、
適当に空いてて、きれいなお店の店先で、
父と二人、さつま揚げを買って、
包んでもらっている間に立ち食いをしました。

私たちがお店から離れる頃には、お店はお客さんでごった返していて。

父は笑いながら、
こういうの「さくら」っていうんだ、と言って笑ったのでした。

多分当時はまだ、40歳くらい。若い若い。

いつもは、仕事から帰ったあとの、
気難しそうな顔ばかり見ていた父の顔が、
実はそうではない、末っ子特有の、
いたずらっ子ぽい顔になっていたのが意外で、ちょっと楽しかったのです。

それ以来「さくら」は、
鹿児島と結びついて記憶されています(笑)。

そうそうこの時、目の端には「桜」島が見えていたっけ。


結局この旅行は、父との二人旅となり、
翌日には、突端の開聞岳へと脚を運び、
山の上から真っ青な海を眺めたのを覚えています。

お正月の鹿児島は福岡と違い、明るく暖かったです。


今年も後わずかとなりましたね。
読んでくださっている皆さん、本当にありがとうございました。

良い年をお迎えくださいね。







2011/09/26

空も飛べる



小学校6年生の時、父の転勤により、東京を離れた。

向かった先は九州の福岡。

着いたとたん、全く違う土地の空気感を感じ、
異国に流れ着いたような錯覚をした。

暑い夏の来る前の季節だった。

福岡の生活は、3年間。
そんなに長いものではなかったけれど、
私の記憶に全く新しいものを刻み込んだ。

身近に感じる自然の存在。
毎朝、学校へ向かう時に歩く道の先に見える油山は、
日によってその姿を変えていた。

学校や友だちの家に行く時に歩く、坂の多い住宅地のアップダウン。
大池に出れば、子供の目には荒涼と感じた風景が広がっていた。

夏休みに出かけた、夏の青い海の向こうは異国であり、
白い砂浜が、ぽかんとした島のように、
そこだけが浮かんでるように感じられた。

東京の練馬も都会じゃないけれど、住宅街で田舎ではない。
全く初めて目にする風景だった。

そう言えば当時、社会科で習っていた、
防人の気持ちを、自分と重ねてみたりしていたっけ。


梅さんのブログで久しぶりにスピッツの音楽を聴き、
そうだ、スピッツの初期の頃の音楽は、
あの頃過ごした、九州の時に感じたものと繋がるなと感じた。
(偶然かな?草野さんは福岡の方ですね)


まるで、自分の置き場所をなくしたかのような歌詞や、
風の中を彷徨うかのような、
彼らの音楽のアレンジの音の上り下がりが、
あの頃に自分が見た風景を思い出させ、
知らない街に住む、自分の心象を思い出させた。


その拠り所のない、
どこかに飛んで行ってしまいそうな感じが懐かしく、
久しぶりにロビンソンを何度か聴いていた。








大きな力で、空に浮かべたらう〜らら、宇宙の風に乗る〜〜。


スパイダーも好きだな〜。
(福岡にいた頃はやっていた歌は、もっと前の時代の歌ですよ)


今更、歌詞をちゃんと聴くと、
懐かしい青春時代の音楽って感じがしますけどね。

(歌を聴くとき、あまりちゃんと歌詞を聴かないんで)




2011/02/11

父の思い出



今日は亡くなった父の誕生日だ。

東京は、朝から雪がちらついている。


寒いし、休日だし、のんびりとしていたら、急に歌が浮かんできた。
なんだか懐かしい歌。


ああ、この歌、父から習った歌だ。
そして他で聴いた事もない歌。




雷さんはお空のチンドン屋
高い雲の、上で
ゴロゴロ、ピカピカ
大きな太鼓を鳴らします。





ちなみに父は、休日に一人で遊びに行ってしまうような、
家族に誠実ではない人。

子供の時に
「お父さん、どこに行ってたの?」

と聞くと

「いいとこ、床屋の縁の下」

とはぐらかすような人だった。



そう言えば私はこの家に、5年前に引っ越してきたのを思い出した。
当時、引っ越すのがいやで、嫌々、
この日なら動けるかも、と、父の誕生日に決めたのだ。





2009/12/04

使い捨てでないカイロの話



さっき、使い捨てないエコカイロ、という記事の見出しを読んだら、
ふと思い出した。
高校生の頃、ハクキンカイロを使っていたということを。
(しっかり年齢ばれますね)

ちょっとライターを大きくしたような姿で、ステンレス製。

毎朝、登校前に燃料のベンジンを詰め、芯の長さを調節して、
マッチで点火し、シルバーに光る蓋をパチンと閉め、
えんじ色の袋に詰め、制服のポッケに入れて、自転車で登校する。

学校は名古屋の郊外にあり、名古屋は知る人ぞ知る、寒冷地なのだ。
(多摩地区よりは温かいかも)
おまけに学校は吹きっさらしの丘の上にあり、
カイロなしの生活は考えられない。

その頃からマメでない私だったけれど、
カイロを準備する作業が妙に好きだった。

微調節をして、カイロを点火するというのが好きだったのだと思う。
カイロはきちんと管理してあげると、とてもいい感じで働いてくれる。

使い捨てカイロのように、すぐには温かくならないけれど、
一旦温まり出すと、やけどしない程度に熱くなる。

今でも発売しているのだろうかと、探すと、
愛され続けて80年と書いたホームページを見つけた。

それにしてもずっと、白金カイロだと思っていたよ。

何種類もあるみたいだけど、昔と同じのはなさそう。
ちょっと買ってみたい衝動に駆られてしまった。



2009/05/29

旅の記憶


あまりにブログを放置していたため、
ログインパスワードすら、忘れそうです(笑)。

来週早々、関西に行く予定なのですが、
何も準備をしていません。
国内は日本語通じるし、気楽で良いなあなんて、
のんきに構えています。
でも、新幹線の中、マスク必要ですかね?




沖縄に観光ではなく、
お友達のボランティアのお手伝いに行ったときは、凄かった。


宿泊所の予約と飛行機のチケットを、
別の友だちに取ってもらって、
友だちのケータイ番号を聞いただけの、一人旅。


沖縄初めてだったんですよ〜。
那覇が、沖縄県のどの辺にあるのかも知りませんでした。

で、空港について、友だちに電話して、
どこに行けば良いのか聞いて、
そこに行くのにどうしたら良いのか、案内で聞いたら、

まずバスで市内に出て、市内のバスターミナルに行って、
そこからローカルバスで1時間です
(もしかしたら2時間だったかも)と、言われました。

そこで初めて地図で確認して、遠いとこなんだなって知りました(笑)。
あ、那覇って随分下なのね、なんて思ったりしてね。

友だちがケータイに出なかったら、どうしていたんでしょうね。
その頃自分は、ケータイを持ってなかったので、
通じないということもあることすら、知りませんでした。


あっつい日で、誰も外なんか歩いてなくって。
ターミナルに行っても、人がいなくて。
バスの時刻は1時間後くらいで、本数なくて。

そこで、タクシーの運転手さんに拾ってもらいました。
拾ってもらわなかったら、とっても大変だったということは、
後で分かりました。

ホテルに行って、遅めの朝食を食べて、荷物預けていざ出発。

珍道中でした。

叔父さんにわがまま行って、
Tシャツ買わないといけないから、お店に寄ってくださいと言って、
途中、ダイエーみたいなところによってもらって、
それから海が見たいなんて言って、足だけ海に入れる、
子どもにうってつけの場所に連れて行ってもらって。
生暖かい沖縄の海に、ちょっとだけ触れさせてもらえました。


車を北に走らせて、行ってみたら、目的の場所は、バスの停留所からまだ先。

広いサトウキビ畑の中を、延々と(多分15分くらい)走りました。

ここは昔、基地のあった後。
(読谷村の村役場の併設された場所)だから、
公道から離れていたんだと思います。
バスでなくて本当に良かった。


叔父さんは、実は星野監督が沖縄キャンプに来る時に、
専属となる方と聞きました。本当によい方でした。
(しかも、一人だから大変でしょうと、通常の半額にしてくれたんです)

多分、7年くらい前の出来事。


あのときのことを考えたら、関西はお茶の子さいさいですね。きっと。



2009/05/01

差し入れ







すっかり忘れてしまうところでした。
月曜日に母から、タケノコの煮たのと、
スズランの花束の差し入れ貰ったんだっけ。
けっこう美味しかったです。

スズランの香りが凄く強いのでビックリ。

大昔、二人でパリに行った時に、
メーデー(今日)で、スズランが街中で売られていました。

親しい人にスズランを送る習慣があるみたいで、
スズランを貰った人は、幸せになると言われているみたいです。


子どものお小遣い稼ぎにもなっているみたいで、
学校のお休みの子どもたちも、スズランを売っていました。
(可愛かった〜)

夏時間のパリはなかなか日が沈まず、
9時頃でも明るかったんだけど、
時差があること忘れて出歩いて、
その辺で寝そうなくらい、眠かったっけ。
(日本時間で明け方?)

オルセー美術館、眠かったです。

また行くのなら、5月1日にかけて行ってみたいな。
ライラックも、マロニエの花も花盛り。
美しいパリの都です。







2009/04/17

思い出の味。






一昔前の話しです。

会社に入って研修後、
同じ部署の子たち9人で、お茶をしようということになった。
さあて、どこに行こうかとふらふらしていたら、
千疋屋のフルーツパーラーが。
古ぼけた喫茶店のような薄暗い店内に入って、皆で初めましての挨拶をした。

一階では果物を売っていて、席から見下ろせるようになっていた。

その時に食べたのがこの、アメリカンショートケーキ。

スポンジの間にアイスクリームが挟まれて、
牛乳がかけられている。
こんな不思議な食べ物、今までここでしか食べたことがない。

お店は建て直され、近寄り難い雰囲気となってしまったけれど、
味は変わらなかった。

今回は、過去からの脱却の一環として訪れてみた。
それでも懐かしい日本橋。
今回は行かなかったけれど、
ミカドコーヒーのモカソフトとか、お昼に毎日食べてた。
その頃は全く知らなかったけど、ジョンレノンが気に入ってたんだね。

書いていたら、また行きたくなってしまった。






あの頃とは全く違う、こんなホテルのようなホールのある建物に入っていて、
店内の天井を見上げるとこんなに美しい。
(写真に写っているお店はまた、別の店)